2017-10

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なん……だと…… - 2012.06.03 Sun

六命が……終わった……だと……!?
報せを知ったのが新幹線の中で、僅かな電波の中、必死にPCブラウザ使って更新結果見てました。
Twitterもね!山の中とか田圃だらけとかトンネルとか見られませんでしたね!!
まさに必死こいてました。一時間半くらい。恥ずかしい。

というわけで、皆様御疲れ様でした。
何だかたくさんの方に絡んで頂けたり、わいわいできてすごく楽しかったです!
本コミュもあれだけ人が集まって下さるとは思わず。
「時々ぼやきます」みたいな事書いておきながら、毎回いらん事喋るのが楽しかった。
つい前日まで、参考資料をバラバラめくりながらキーボード打ってたのにね……。

木漏れ日のアイコン抽選も、また二回目で終わってしまいましたしょんぼり。
まだできあがっていないアイコンは、必ず仕上げますので、モウチョットマッテネ!


さて。六命終了にあたりまして、このような企画を立てています。

http://ginkgo.versus.jp/rokumei-otukare-s.html

↑こんなの。クリックで飛べるはず。
記念撮影的に、一枚のキャンバスにたくさんの方を描きたいなと思っています。詳細はリンク先を御覧下さい。
記事では「Twitterで云々」ってなってますが、最初Twitterで募集していたのが原因です。
しかしそこだけで募集もなんだかなーと思ったので、悩んだ結果、ブログ掲載に至りました。
よろしければ、ブログのコメントでも231宛の伝言でも、気軽に御参加頂ければ幸いです。
プロフ絵が無くても、詳細があれば大丈夫です。
ただし、表のキャラさんに限りますので、御注意下さい。

募集は6日(水)の0:00まで行っています。
締め切り延びました。詳しくはURLを参照して下さい。

40人でも集まればありがたいと思ったら、100人越えました(^ω^わあお!ありがとうございます!
今から図面を考えるのが楽しみです!!一枚の中にたくさんの人詰め込むの大好きなもので……。
らくがきクオリティで、しかも色も塗りませんが、御付き合い頂けたら嬉しいです。
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駄文:本コミュ『墨の話の補足』 - 2012.05.19 Sat

本コミュにて墨の話をする際、どうしても思い出せなかったものがあったのですが、
結局思い出す事ができずにその話一切をスッパリと切って御話しをしました。

で、それを後になって思い出したので、ここで補足する事に致します。
本コミュにおいて、何度か淡墨についての話をしました。
例えば、炭素十四法の件では

文箭「一つだけ、疑問があります。それは、淡墨で筆者された遺品はどうなるのか。淡くすれば、炭素を薄めているという事になり、保存性に対する疑問視がなされています」

また、別の日には

文箭「墨といえば、他にも色々ありますね。彩墨に……墨といっていいのか分かりませんが、金泥・銀泥もあります。昔は金墨・銀墨があったようですが。色んな色を直接的に出す事もできますけれど、黒い墨の特徴は濃度の調節が利くというところですね。例外として、磨った墨をわざと放置して腐らせて、宿墨というものにさせる事もあります」

文箭「超濃墨だと、文字は濃く、かすれます。逆に淡墨であれば、薄く、比較的伸びが良くなりますね」

文箭「ところで、淡墨ですが……現在は弔いの際に主に使われますけれど、昔はむしろそれ以外に使う事は無かったんですよ。淡墨が作品に取り入れられる事となったのは、日本の江戸末期~明治辺りです」



と、コミュニティではここで話を切り上げました。
この時もう一つ話をしようと思っていたのですが、やめたのです。理由は確信が持てなかったからと、ド忘れしたからなんですけど……。
どうしても思い出せなかった人物、それは、王文治という人物の事でした。

王文治(1730-1802)は清時代の人です。この記事はレポートじゃないので、字などの細かい事は省きますね。
書道的な話をすれば、帖学派であるとか云々色々あるんですけど、そういうのも全部省きます。
問題は、この人物は劉墉(1719-1804)という人物(余談ですが、劉石庵と呼んだ方が通りが良かったりします)の書と比較して、風神と評されていました。この二人を併せて「濃墨宰相、淡墨探花」といいました。
前者の「濃墨~」が劉で、後者の「淡墨~」が王です。
意味はどうやら、科挙の最終試験の第三位合格者という事だそうですけれど、私はここで一つ引っ掛かっていた事があるのです。
劉墉は濃墨を好んで使っていた事は知っていますが、王文治は実際、どうだったのか?
また、この時代、淡墨というものがあったのか?

さてさて、調べてみるとこれが資料がサッパリありませんでした。
私事ではありますが、現在病気で学校にも行けず、従って図書館にも行けない身なので、身の回りにある資料を基に調べてみましたが、うんともすんともにんともかんとも。
仕方なく「中国の墨色 歴史」でぐぐってみたところ、墨運堂さんにて気になる記述を発見しました。
それは墨運堂さんにあるQ&Aの項目「Q.墨の造り方は中国も同じなのですか。」という部分。

「現在の日本の墨造りは、中国の明時代の影響を強く受けています。明代の墨が清の乾隆時代に代表される様な流れの良い、淡墨の美しい墨に変化したのは、中国の水の問題なしに考えられません。」

この文章です。これを見ると、中国の清時代には淡墨があったと考えられます。
文箭の発言としても書きましたが、元々、淡墨は書作品として用いられる事は無かったのです。
淡墨は日本でいうところでは、慶弔用。(中国はどうか知りません)他に言えば、水墨画に見られる墨色の濃淡です。
なので、もしかしたら、この墨運堂さんの「淡墨」も、書ではなく水墨画に対して言っている可能性は否定できません。
墨運堂さんに直接尋ねたわけではないので、その辺りは分かりません。
しかし、清の乾隆帝時代に淡墨があったという確証が持てました。

ちなみに、清時代は日本でいうところの江戸時代です。王文治の生没年見てりゃ分かるでしょうが。
で、文箭の

文箭「ところで、淡墨ですが……現在は弔いの際に主に使われますけれど、昔はむしろそれ以外に使う事は無かったんですよ。淡墨が作品に取り入れられる事となったのは、日本の江戸末期~明治辺りです」

この発言と繋げて考えてみます。
江戸末期~明治に淡墨作品があるとなると、清時代にある中国にも淡墨作品があっておかしくないんじゃないかと思いました。
確か淡墨作品を書いたのは文人(書の世界でいう文人は、物書きという意味ではありません)です。
江戸の文人は、中国趣味、中国への憧憬などの性質を持ちます。明治に入っても、日中交流はありました。
※余談ですが、五・一五事件で暗殺された犬養毅は中国と親しく、日本へ亡命した孫文を匿ったという事があります。中国と親しくして満州侵略に反対していたのも、暗殺された理由の一つ。軍にとっての目の上の瘤だったのです。
日中交流では、巌谷一六や日下部鳴鶴や松田雪柯(せっか)が、日本に来た楊守敬に教えを乞うた事は余りにも有名ですし、
宮島詠士も、張裕釗(ちょうゆうしょう)などに書の教えを賜っていたという記録があります。

仮名書道などの特殊なものは除いて、結構中国→日本という書の流れは強いものです。
となると、淡墨も、もしや中国から流れてきたものか?と思ってみました。
そこで、王文治の「淡墨探花」の「淡墨」は、そのままの意味かと思って彼の事を調べてみたのですが、どうにもそういう素振りは無い。
一応いくつか作品を見てみましたが、中には「濃墨で書いた」というものすらあって、おいおいこいつ淡墨使ってないじゃん……とすら思いました。
『明清書道図説』によると、王文治は、平常は「稍上滑りのした線が多く見え、軽快の感を与えるものが多い」(『明清書道図説』184頁)という事だそうです。まあ、だからこそ風神なんでしょうが。

うーん、それにしても、王文治が淡墨を使っていたという記録が無い。
他の作品を見てみても、普通にしっかりとした墨色です。それどころか、中国の淡墨の書というのが見られません。
宿墨(わざと墨を腐らせたもの)なら張裕釗の作品にあるのですが……。
ならば、清代の書文化はどうだと思ってあたってみましたが、以下の通りでした。

  書の制作の実際は(詩文や画も同様だが)、純粋な創作活動であるよりも、一般的に応酬の手段である事が多い。しかも書の商品化が定着し、揮毫者が生計維持を目的とする制作も激増した時代である。
  (中略)また、応酬・売芸の手段であったことに加えて、現代に近接する時代であるために、伝世書蹟の絶対量が多くまた史上に名をとどめる書人の絶対数も多い。

また、清代美学の面において、書学の分野では発展がみられない事から、この方面から探るのは現状不可能であるとされます。
清時代においては、書の世界に新風が巻き起こり、表現にも多様化がみられたと『中国書法史を学ぶ人のために』書かれているので、墨色に何らかの変化があっても良さそうなものだと思うのですけれどもねえ。

今更ながらに、王文治の書風の検討をしてみましょう。
『中国書画名品図録』には次のように書かれています。「書風は上品で瀟洒、飄逸で暢やか。」(『中国書画名品図録』369頁)
同時に、この書と上記の『明清書道図説』で淡墨の書を探したが、見付からなかった。
私の今の見識の狭さでは、結論として「王文治の“淡墨”という評は、彼の書風に対する表現である」としか結論付けられないです。


ここまで調べてみると、「あーコミュで書かずに切っておいて良かった、迂闊に発言せんで良かった」と思いますが、なんだか宙ぶらりんな結果に終わってしまいましたね。
補足として何が言いたかったかと言うと、「人の評価として『淡墨』という事を言う場合がある」ってな感じだったんですが、いやはや、言わなくて良かったかもしれない。
大変な与太話になってしまいましたが、本コミュのおまけとして読んで頂ければ幸いです。


「ていうか本関係ないじゃん」って言われたら、ごめんとしか言いようがないです☆
完璧に書道の話になってますね。専門分野なので、まあ、見逃して下さい……。
紙の話からは、ちょっと、本らしさが戻ると思うんです!多分。


-追記-
ふと思い出しましたが『文房清玩』の何巻だったかに、淡墨の事について次のような事が書かれていました。

  そのかみの晋唐の書や宋元の画はみな数百年のあいだに伝わつてきても、墨の色は漆のようで、神気はそのおかげでもとのままのこっている。
  もし墨のわるいものであったならば、もちいかたが濃ければ水にあうとにじんでよごれるし、もちいかたが淡ければ裱具をやりなおすと神気がすっかりなくなり、二三年もならないうちに墨の色がはやくもあせてしまう。
  だからこそもちいる墨はよいものでなければならないのである。

これは冒頭の炭素十四法に通ずるのですが、悪い墨だと、保存性が悪くなるようですね。
良い墨だとどうなのだろうという疑問点が残りますが……。
また、淡い墨というと、仮名はどうなんだ?と思われる事でしょう。
実は、仮名用の墨とそうでない墨とでは、膠の量が違います。ですから、仮名用の墨は色味が薄い。その代わり、のびが良いですね。



*参考文献*
『日本・中国・朝鮮/書道史年表事典』 書学書道史学会編 2005年10月1日発行 萱原書房
『書道テキスト第8巻 行草書』 高木杉雨 2007年4月20日発行 二玄社
『中国書法史を学ぶ人のために』 杉村邦彦編 2002年9月10日発行 世界思想社
『明清書道図説』 青山杉雨 1986年2月10日発行 二玄社
『中国書画名品図録』 <<中国書画名品展>>実行委員会 1994年4月18日発行 二玄社
『大東文化大学漢学会誌「王文治が琉球にのこした書」』 高澤浩一 2004年3月10日 大東文化大学
墨運堂 http://www.boku-undo.co.jp/

SS「夜ふかし」 - 2012.04.10 Tue

本編とは関係無いですが、折角書いたのでぽいと。
本編で使おうとは思っていたんですけれど、何か出す機会も無いだろうなと思いました。


[ 自動書記文箭の述懐 ]

己がそれに行き逢ったのは、夏も終息に向かう盆の過ぎ。
岡山県某所の畦道にて、深夜、虫の声を受けながら、彼は呆然と座っていた。
呆然と、というのは、己の主観的観測である。ただただ座っている丈に見えたので、そのように形容した。
実際は、彼は何かをしていたのかもしれない。
彼は黒い人であった。全身を黒で包み肌も黒い。顔の中にある白目だけが、真夜中に彼の存在を知らしめていた。ぷかぷかと、黒い煙管から黒い煙を燻らせて、そこに座っている。

己は彼に話しかけようかどうか悩んだが、碌でもないモノであったら堪らないので、足早にそこを通り過ぎようとした。
するとどうだろう、「そこの君」と穏やかな声音が背中を刺した。
己は振り返り、彼を見る。白目と黒目。それが己を向いている。

「ちょっと待たないかい。話でもしようじゃないか。丁度暇をしていたんだ」

捕まってしまってはどうしようもない。己は素直に彼の横に座り、その顔を見た。真っ黒な顔がにこにこと笑っている。

「君、俺を不思議な人だと思ったろう」
「はい。真っ黒な御方だと」
「その通りだ、違いない。俺は真っ黒だ。だが、それ丈だと思うかい?」
「どういう意味です」
「こんな時間に、田舎の畦道にたった一人で座っている。俺は唯の人だと思えるか?」
「いいえ、思いません。ですから、通り過ぎようとしたのです」
「違いない、君の判断は正しい」

それだけ言うと、彼は煙管をふかした。煙管からは何のにおいもしない。
己はじっと彼の手元を見つめて、それから、彼に何をしているのかと問うた。
「いい質問だ」と彼は言う。煙管を、すいと己の前に出して、歯を見せた。歯も真っ黒だった。

「俺は夜をふかしているのさ」

己は首を傾げた。夜をふかすというのは、どういう事か。

「夜をふかすとは、夜更かしという事と違い無いのですか」
「ああ、そうさ。よふかし。夜をふかす。それだけの怪異だ」
「君は一体、どういったモノなんです」
「唯一人、こうして田舎の畦道で、夜をふかす。それだけ、それだけ」

ぷかり。黒い煙が黒い背景に溶けた。この煙管から出ているのは、夜なのか。
もしかすると、こうして黒い背景ができあがるのは、彼が夜をふかしているからなのか。一体全体、彼の言う事が分からない。夜ふかしというのは、何なのか。それが分からぬ儘、己は畦道にて朝を迎えた。
結局、己は彼に騙されて、夜を更かしてしまったのである。

投票御礼とか色々を詰め込み放題 - 2012.04.10 Tue

「詰め放題」っていうと、心がときめきメモリアルじゃないですか?
ときめきませんか、そうですか……。


・まずはちょっと宣伝

木漏れ日にて、またアイコン募集やってます。
内容は大体前回と同じです。リンク先に書いてあるので、こちらでは割愛させて頂きます。
締め切りは16日の0時になってます。よろしく御願いします。

アイコン描くの大しゅきいいいいいいいい!!!!!!!!


・投票御礼

その都度その都度やろうと思っているのに、いっつも忘れてしまう。ごめんなさい。
それはそうと、「純和風!」で1位、ありがとうございました!!!
目玉がすぽんと抜け落ちて死ぬかと思った。いやだって、私文箭デザインしてる時に「こいつは和風ではないなあ」とか思って、わーお!

ちなみに偽島の時も「純和風!」投票があって、私はすっげーハッスルしてました。
今回もハッスルして、投票枠超使いまくった。表のみならず裏も使った。
偽島ん時は5枠でさ!あっさり埋まっちゃってすっげーしょんぼりしたんですよね!!
ああ、表裏あるって、す・て・き……☆


「昭和初期?大正?の雰囲気。」「大正浪漫」「昭和っぽいイメージ」「大正の書生さん!って感じです!」
「文明開化」「昭和な感じでとても良い」

時代的な連想をして下さった方が多いようで、嬉しいです。
文箭は明治~昭和初期辺りをイメージしていますが、それが御分かり頂けたのだなあと思ってキャッキャ!
しかしこいつ現代で街中行く時はスーツ着てる。裏切り者だー!!

「書道とか好きそう」
すみません完璧に中の人の趣味です。中の人は書道を専門的にしております。
ちなみに、偽島2~3期では書道コミュやってました。特に3期では語る場面も多かったかも。

「和本の香りを感じる。墨の匂い」「和書」「和風書物!」
文箭は和書です!(キリッ 今丁度、コミュで墨の話をしていますね。文箭の攻撃手段も黒い液体だし。
最初は西洋の幻想文学から日本の民俗学まで扱おうと思っていたのですが、気付いたら完全に西洋どっか行ってましたね。
文箭のコートは、和綴じ本と原稿用紙をイメージしています。

「ちょっとレトロチック。」
レトロファンタジー万歳!!!!!レトロといえば、スチームパンク系も好きです。

「和風といえばこの人」「これは外せない」「和風と言えば、この方しかっ」
「文句無しの和風オーラ」「和風と言えばこの人は外せません」「和といえばこの人である。」「この人以外はー……」
「鉄板だよね」「もう和風といったら」「純和風!」「純和風!」「和風と言えば」「和風ですとも」「何から何まで和風を体言してますよね」

もう死んでもいい。
和キャラやり続けてウン年、嬉しい事この上無いです……!!!
あ、私はしぶとく生きます。

「雰囲気がいい」「見た目から技名まで全て和風」「どうみても和風」「衣装のデザインが好き」
ヒャホー!!(クルクルクル ありがとうございます、こう、見られてるって、は、恥ずかしい///;
衣装やら何やらは自分にしては珍しくひどい難産で、メチャクチャ苦労した記憶があります。
頑張って文箭考えて良かった。あと少しで爆破するところでしたから。
技名は、多くは「奇談異聞辞典」(ちくま学芸文庫)より抜粋しております。
時折全然違うとこから抜粋してたりしますけど。(例:「万巻の書を読み~」は董其昌の論)

「純和風眼鏡prprpr」
君は後で体育館裏に来なさい。


以上です!ありがとうございましたああああーーー!!!!!


そして以下はらくがき詰め込み。

らくがきログ - 2011.11.03 Thu

落書きがたまってきたので、適当にホイホイ。
レンタルものはご本人様にお渡し済みではありますが、掲載許可をとっておりませんので、
何か不都合などございましたら連絡頂けるとありがたいです。


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