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駄文:本コミュ『墨の話の補足』 - 2012.05.19 Sat

本コミュにて墨の話をする際、どうしても思い出せなかったものがあったのですが、
結局思い出す事ができずにその話一切をスッパリと切って御話しをしました。

で、それを後になって思い出したので、ここで補足する事に致します。
本コミュにおいて、何度か淡墨についての話をしました。
例えば、炭素十四法の件では

文箭「一つだけ、疑問があります。それは、淡墨で筆者された遺品はどうなるのか。淡くすれば、炭素を薄めているという事になり、保存性に対する疑問視がなされています」

また、別の日には

文箭「墨といえば、他にも色々ありますね。彩墨に……墨といっていいのか分かりませんが、金泥・銀泥もあります。昔は金墨・銀墨があったようですが。色んな色を直接的に出す事もできますけれど、黒い墨の特徴は濃度の調節が利くというところですね。例外として、磨った墨をわざと放置して腐らせて、宿墨というものにさせる事もあります」

文箭「超濃墨だと、文字は濃く、かすれます。逆に淡墨であれば、薄く、比較的伸びが良くなりますね」

文箭「ところで、淡墨ですが……現在は弔いの際に主に使われますけれど、昔はむしろそれ以外に使う事は無かったんですよ。淡墨が作品に取り入れられる事となったのは、日本の江戸末期~明治辺りです」



と、コミュニティではここで話を切り上げました。
この時もう一つ話をしようと思っていたのですが、やめたのです。理由は確信が持てなかったからと、ド忘れしたからなんですけど……。
どうしても思い出せなかった人物、それは、王文治という人物の事でした。

王文治(1730-1802)は清時代の人です。この記事はレポートじゃないので、字などの細かい事は省きますね。
書道的な話をすれば、帖学派であるとか云々色々あるんですけど、そういうのも全部省きます。
問題は、この人物は劉墉(1719-1804)という人物(余談ですが、劉石庵と呼んだ方が通りが良かったりします)の書と比較して、風神と評されていました。この二人を併せて「濃墨宰相、淡墨探花」といいました。
前者の「濃墨~」が劉で、後者の「淡墨~」が王です。
意味はどうやら、科挙の最終試験の第三位合格者という事だそうですけれど、私はここで一つ引っ掛かっていた事があるのです。
劉墉は濃墨を好んで使っていた事は知っていますが、王文治は実際、どうだったのか?
また、この時代、淡墨というものがあったのか?

さてさて、調べてみるとこれが資料がサッパリありませんでした。
私事ではありますが、現在病気で学校にも行けず、従って図書館にも行けない身なので、身の回りにある資料を基に調べてみましたが、うんともすんともにんともかんとも。
仕方なく「中国の墨色 歴史」でぐぐってみたところ、墨運堂さんにて気になる記述を発見しました。
それは墨運堂さんにあるQ&Aの項目「Q.墨の造り方は中国も同じなのですか。」という部分。

「現在の日本の墨造りは、中国の明時代の影響を強く受けています。明代の墨が清の乾隆時代に代表される様な流れの良い、淡墨の美しい墨に変化したのは、中国の水の問題なしに考えられません。」

この文章です。これを見ると、中国の清時代には淡墨があったと考えられます。
文箭の発言としても書きましたが、元々、淡墨は書作品として用いられる事は無かったのです。
淡墨は日本でいうところでは、慶弔用。(中国はどうか知りません)他に言えば、水墨画に見られる墨色の濃淡です。
なので、もしかしたら、この墨運堂さんの「淡墨」も、書ではなく水墨画に対して言っている可能性は否定できません。
墨運堂さんに直接尋ねたわけではないので、その辺りは分かりません。
しかし、清の乾隆帝時代に淡墨があったという確証が持てました。

ちなみに、清時代は日本でいうところの江戸時代です。王文治の生没年見てりゃ分かるでしょうが。
で、文箭の

文箭「ところで、淡墨ですが……現在は弔いの際に主に使われますけれど、昔はむしろそれ以外に使う事は無かったんですよ。淡墨が作品に取り入れられる事となったのは、日本の江戸末期~明治辺りです」

この発言と繋げて考えてみます。
江戸末期~明治に淡墨作品があるとなると、清時代にある中国にも淡墨作品があっておかしくないんじゃないかと思いました。
確か淡墨作品を書いたのは文人(書の世界でいう文人は、物書きという意味ではありません)です。
江戸の文人は、中国趣味、中国への憧憬などの性質を持ちます。明治に入っても、日中交流はありました。
※余談ですが、五・一五事件で暗殺された犬養毅は中国と親しく、日本へ亡命した孫文を匿ったという事があります。中国と親しくして満州侵略に反対していたのも、暗殺された理由の一つ。軍にとっての目の上の瘤だったのです。
日中交流では、巌谷一六や日下部鳴鶴や松田雪柯(せっか)が、日本に来た楊守敬に教えを乞うた事は余りにも有名ですし、
宮島詠士も、張裕釗(ちょうゆうしょう)などに書の教えを賜っていたという記録があります。

仮名書道などの特殊なものは除いて、結構中国→日本という書の流れは強いものです。
となると、淡墨も、もしや中国から流れてきたものか?と思ってみました。
そこで、王文治の「淡墨探花」の「淡墨」は、そのままの意味かと思って彼の事を調べてみたのですが、どうにもそういう素振りは無い。
一応いくつか作品を見てみましたが、中には「濃墨で書いた」というものすらあって、おいおいこいつ淡墨使ってないじゃん……とすら思いました。
『明清書道図説』によると、王文治は、平常は「稍上滑りのした線が多く見え、軽快の感を与えるものが多い」(『明清書道図説』184頁)という事だそうです。まあ、だからこそ風神なんでしょうが。

うーん、それにしても、王文治が淡墨を使っていたという記録が無い。
他の作品を見てみても、普通にしっかりとした墨色です。それどころか、中国の淡墨の書というのが見られません。
宿墨(わざと墨を腐らせたもの)なら張裕釗の作品にあるのですが……。
ならば、清代の書文化はどうだと思ってあたってみましたが、以下の通りでした。

  書の制作の実際は(詩文や画も同様だが)、純粋な創作活動であるよりも、一般的に応酬の手段である事が多い。しかも書の商品化が定着し、揮毫者が生計維持を目的とする制作も激増した時代である。
  (中略)また、応酬・売芸の手段であったことに加えて、現代に近接する時代であるために、伝世書蹟の絶対量が多くまた史上に名をとどめる書人の絶対数も多い。

また、清代美学の面において、書学の分野では発展がみられない事から、この方面から探るのは現状不可能であるとされます。
清時代においては、書の世界に新風が巻き起こり、表現にも多様化がみられたと『中国書法史を学ぶ人のために』書かれているので、墨色に何らかの変化があっても良さそうなものだと思うのですけれどもねえ。

今更ながらに、王文治の書風の検討をしてみましょう。
『中国書画名品図録』には次のように書かれています。「書風は上品で瀟洒、飄逸で暢やか。」(『中国書画名品図録』369頁)
同時に、この書と上記の『明清書道図説』で淡墨の書を探したが、見付からなかった。
私の今の見識の狭さでは、結論として「王文治の“淡墨”という評は、彼の書風に対する表現である」としか結論付けられないです。


ここまで調べてみると、「あーコミュで書かずに切っておいて良かった、迂闊に発言せんで良かった」と思いますが、なんだか宙ぶらりんな結果に終わってしまいましたね。
補足として何が言いたかったかと言うと、「人の評価として『淡墨』という事を言う場合がある」ってな感じだったんですが、いやはや、言わなくて良かったかもしれない。
大変な与太話になってしまいましたが、本コミュのおまけとして読んで頂ければ幸いです。


「ていうか本関係ないじゃん」って言われたら、ごめんとしか言いようがないです☆
完璧に書道の話になってますね。専門分野なので、まあ、見逃して下さい……。
紙の話からは、ちょっと、本らしさが戻ると思うんです!多分。


-追記-
ふと思い出しましたが『文房清玩』の何巻だったかに、淡墨の事について次のような事が書かれていました。

  そのかみの晋唐の書や宋元の画はみな数百年のあいだに伝わつてきても、墨の色は漆のようで、神気はそのおかげでもとのままのこっている。
  もし墨のわるいものであったならば、もちいかたが濃ければ水にあうとにじんでよごれるし、もちいかたが淡ければ裱具をやりなおすと神気がすっかりなくなり、二三年もならないうちに墨の色がはやくもあせてしまう。
  だからこそもちいる墨はよいものでなければならないのである。

これは冒頭の炭素十四法に通ずるのですが、悪い墨だと、保存性が悪くなるようですね。
良い墨だとどうなのだろうという疑問点が残りますが……。
また、淡い墨というと、仮名はどうなんだ?と思われる事でしょう。
実は、仮名用の墨とそうでない墨とでは、膠の量が違います。ですから、仮名用の墨は色味が薄い。その代わり、のびが良いですね。



*参考文献*
『日本・中国・朝鮮/書道史年表事典』 書学書道史学会編 2005年10月1日発行 萱原書房
『書道テキスト第8巻 行草書』 高木杉雨 2007年4月20日発行 二玄社
『中国書法史を学ぶ人のために』 杉村邦彦編 2002年9月10日発行 世界思想社
『明清書道図説』 青山杉雨 1986年2月10日発行 二玄社
『中国書画名品図録』 <<中国書画名品展>>実行委員会 1994年4月18日発行 二玄社
『大東文化大学漢学会誌「王文治が琉球にのこした書」』 高澤浩一 2004年3月10日 大東文化大学
墨運堂 http://www.boku-undo.co.jp/
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